川端健太 / 山田優アントニ 「contact」

KENTA KAWABATA

YU ANHONY YAMADA

川端健太 / 山田優アントニ「contact」

会期:2024年3月2日 – 3月31日

開廊時間 13:00-19:00

休廊日:月曜-火曜

*3月6日-10日はART FAIR TOKYO 2024出展のため休廊致します。

東京都渋谷区神宮前2-10-1サンデシカビル1階


この度、TAKU SOMETANI GALLERY では、3月2日(土)より川端健太と山田優アントニの二人展「contact」を開催致します。

作家両名は、共に人物をモチーフとしアカデミックな技法を用いながらも、異なるのアプローチにて絵画を制作しています。

本展では2人の絵画作品を通して ”見ること” や ”人の捉え方” に焦点をあてた展示を試みます。

作家両名は、2023年の第26回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)に入選しました。

是非この貴重な機会に、川端健太、山田優アントニ の作品をご高覧頂ければ幸いです。


ステートメント

川端健太

私はソーシャルメディアの発達やパンデミックによるコミュニケーションの変化について意識して絵画、彫刻の制作と技法材料の研究を行ってきた。

 新型コロナウイルスの影響も相まってオンライン化が加速度的に普及し、他人と液晶画面越しに対面する機会が増加した。その為あらゆるコミュニケーションが非直接的で 、モニターや端末を通した多層的なものになり、直接性の削がれた限定的な感覚体験が増えたと感じる。パソコンの画面に胸から上しか映らない映像だけではその人の身長や、仕草や立ち振る舞いがわからない。現代のコミュニケーションでは克明に対象が見えているが実態が伴わず、聴覚と視覚の限定的な情報しか得られないことが多い。 

 私はインターネットなどの多層的な隔たりにより直接触れたり見たりする体験が希薄した現代特有な感覚を絵画で提示したい。


山田優アントニ

子供の頃よく描いていた落書き。特に人の顔は何度描いても飽きなかった。そして、それは今も変わらない。私が人物を描き続けるのは、祖父の代から続いて肖像画業を営む父の影響が大きい。父が描く肖像画に囲まれて育った私は、そこに描かれる人々の姿を見て勝手にその人生を想像していた。
父が描く肖像画と違って、私が描く人物は実在しない。これは、現実には存在することのできなかった人の痕跡、あるいは可能性を描いた肖像画だ。私は彼らのことをよく知らない。しかし、その姿から人生を想像することができる。キャンバス上で生まれ、絵画の中でだけ存在できる彼らの人生を。


本展覧会にあわせ、川崎市岡本太郎美術館館長 土方明司様よりテキストを賜りましたので、ここに掲載させて頂きます。


山田アントニ 川端健太 展に寄せて

土方明司

 普段我々は、身の回りのものをどれだけ具に見ているだろうか。過剰に視覚情報が氾濫する現代。ものを見ることはむしろ蔑ろにされている。見ることに意識を集中させることを避け、短時間で情報処理をすることが、現代の視覚には求められている。手際よく解読処理して、効率的に取捨選択をする。現代は他の感覚を置き去りにして、視覚偏重、視覚肥大の時代である。しかし、むしろこのことにより本来の視覚は萎えている。

 そもそも、ものを見るということは単に視覚の問題ではない。ものを見る、認識するということは、視覚を通じて得られた像が、経験と記憶と学習の繰り返しによって脳内で総合的に形成される。人間は生まれた当初、視覚よりも触覚によって周囲を認識したように、ものを見る(認識する)ということは他の感覚と連携している。実際に触れることなく、また周囲から眺めることなく、一瞥で対象の内容が認識できるのはそのためである。つまり、目がみるのではなく、五感の学習を通じて脳が見る(判断する)のである。見るということは思考に直結し、認識には主観的な判断が関与している。

 デジタルな視覚情報が主流となり、バーチャルな視覚体験が常態化する現在、改めて「見る」ということが問われている。本展の二人もまた、絵画を通じて「見る」ことへの本質的な問いを投げかける。

偶然にも、二人は2023年の第26回岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)に入選している。同展は現代美術の公募展のなかでも、特に「ベラボー」(岡本太郎)な表現が多く出品される。意表を突く、過激な作品が目立つ。そのなかで絵画表現にこだわる二人の作品は、派手さは無く、どちらかと言うと地味な存在であった。しかし、求心的な強さから生じる説得力を持ち、確固たる存在感を放っていた。それは二人の作品が、表現内容における強い必然性を孕んでいるからである。

 川端健太の作品は、写実技法をベースにしながら表現を変奏させ、実像と虚像の差異を提示する。そこではまた、実像と虚像が表裏を成し、入れ子となっている現代の視覚を提示している。表現のみならず、写実技法に伴う支持体、絵具層といった絵画組成・構造そのものにも着目する。その多層性を意識的に利用し、技法を駆使することで、現代社会の視覚を通じたコミュニケーションが、直接性を失い、複雑な多層性によることを伝える。その点を川端は、「いろいろなフィルターやノイズのようなものが物事を見る時に介在する感じを描いてみたくて、層をイメージして一つ一つの要素を分けて描く」と発言している。  

 TARO賞出品作品のタイトルは「そこに見えて居ない」。コの字の壁面の正面には縦3.3メートル、横4メートルの巨大な画面に赤ん坊が克明に描かれている。インパクトのある単体のモチーフが、卓越した技法によって写実的に描かれており、これだけで完結した作品となる。しかし、その左右に展示された(ものとして現存する)マスクや、同一の人物を様々に変容させた連作によって、「見る」ことの曖昧さを問いかける。自明であるはずの図像にゆさぶりをかけるのである。

 山田優アントニの作品は、自身の内面に目を向け、可視化することを通じて記憶、感覚、時間を表現しようとする。過去から現在、内面に沈潜する未成の像を見切り、浮かび上がる断片を掬い上げ、絵に託す。当然そこには視覚と共にある触覚や嗅覚などの諸感覚が発動される。TARO賞出品作品のタイトルは、「portrait」。「私という個人が見てきたもの、感じていること。その一つ一つを小さな描写のピースに変換し、パズルのようにキャンバスの中にはめ込みながら絵画を生成していく」もの。縦5メートル、横4メートルの巨大な画面は十字架のような形状である。ちなみに、彼の母親はフランス人でカトリック教徒である。磔刑図を思わせる画面には、無数の小さな視覚イメージで構成されている。外界で氾濫する視覚情報を遠ざけ、敢えて内面のイメージに目を向けることにより、普遍的な視覚イメージを紡ぎ出そうとする。無意識裡にしまい込まれた記憶の残像、脳裏に去来する現在のイメージ等々。自己の内面に目を向けることにより、埋没した無数の視覚イメージを再構成する。それは自己のアイデンティティに繋がるものとなる。その意味で彼の作品は内面的な自画像とも呼べる。

 川端健太と山田優アントニ。それぞれ見ることに自覚的にアプローチして独自の絵画表現を模索している。二人の作品が強い説得力を持つのは、目(コンセプト)と手(技法)が高いレベルでかみ合っているからであろう。どちらか一方が目立つことが多い現代の作家のなかで貴重な存在である。今後の二人の活躍に期待したい。

川崎市岡本太郎美術館館長

武蔵野美術大学客員教授

©2024 土方明司


作家略歴

川端健太

画家。東京藝術大学大学院修士課程修了。

現代的な視覚体験や感覚、個人の記号化や、インターネットの普及に伴う人とのコミュニケーションの多層化など、人と人との情報伝達を間接的にしていると思われる隔たりについて考え絵画彫刻を制作している。

2019年に東京藝術大学大学美術館に収蔵。

O氏記念奨学生、クマ財団4期奨学生、佐藤国際文化育英財団奨学生、神山財団奨学生。

東京藝術大学美術学部を油画首席として卒業。


山田優アントニ

1987年 静岡県出身
2010年 愛知県立芸術大学美術学部美術科油画専攻卒業
2012年 愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画版画領域修了

1987年静岡県生まれ。

日本・フランス・スペインにルーツを持つ。代々肖像画家を生業とする家庭で育ち、自身も肖像画の形式を用いた絵画の可能性を探る制作を行う。

現在、茨城県取手市のシェアアトリエ「スタジオ航大」を拠点に活動。

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