金海生個展「ケモノ-痕跡」

金海生 個展 「ケモノ-痕跡」

会期:2023年7月21日(金)-8月6日(日)

13:00-19:00

月曜休廊


この度、TAKU SOMETANI GALLERYでは、金海生個展「ケモノ-痕跡」を開催いたします。

金海生は、中国山東省生れ、朝鮮族の血を引く。武蔵野美術大学油絵学科卒業。

金は東アジアにおける人々の精神と文化的記号を観察、体験、探求を行い、「脆弱」と「精神疾患」をテーマにして、絵画、映像などの作品を制作し続ける。彼の絵画と映像の中ではよく人間の身体と植物、昆虫、動物などのイメージを重ね合わせる、あるいは融合する現象がみられる。その作品は水性的な絵具の流れとのびのびとしたブラシストロークは人に深い印象を与えてきました。現在は、日本、中国本土、香港などで作品を発表、活動しています。これまで、TAKUSOMETANIギャラリー、東京画廊BTAP(北京)、パープルームギャラリーなどで展覧会開催、企画など、レジデンス活動、アートフェアなど多くの活動を通し作品を発表してきました。


金海生さんは一度私にこんなことを言った。
「ちょっと大胆で、一方的だが、ある信念があるんだ。僕の作品は特定の個人のために作られているわけではないんだ。」
「僕の創作は、全ての生物、女性、木々、昆虫、動物、鳥たちのために作られている。」
 一度、創作の過程について深く話し合った時、彼は奇妙で心惹かれる瞬間が作品を生み出すきっかけになると言った。しかし、そのような些細な体験をここで語るのは本意ではないとも付け加えた。
「自分を客観的に見れば、多くの場合このような信念を持つ人は、既に狂ってしまったのだと思うかもしれない。」

彼は、東アジアで約30年間生活してきた。中国人の父と朝鮮族(中国に居住する朝鮮民族のこと)の母親の間に生まれ、中国で育った。日本へ留学して以来、生まれ育った中国を離れ、そこで約10年間生活している。生まれてから今まで、東アジアの文化と社会に親しみ密接に関わって生きてきた。
約30年間の実際の生活を通じ、時間をかけてその無数の体験と思考を組み合わせていくことで、上述したような一方的で主観的な信念が生まれ出たことを考えると、彼の持つ特異な視点はこの少し特殊な生い立ちから来ているのではないかと思われる。


狂気・脆弱性について
『活着』(日本版:『活きる』)の作者である中国の作家、余華は韓国の読者からの質問に対して、中国の成語を用いて無声の力を表現した。それは「千钧一发」である。これは1000キロの重さを一本の髪の毛で支える、という意味である。もう少しで切れてしまいそうな、それでも耐えているというすれすれの状況を表している。東アジアの社会生活は、個人に対して、文化、風土や気候、様々な面でこのように極めて過酷な形で与えられる。しかし、人々は想像を超える労働の過酷さ、苦悩、不公平を耐え忍び、たくましく生活を愛するのである。
同時に、このような強靭な農民文化の裏側では、やはりその重さに耐えきれずに、思わず途切れ、自殺を選択してしまう人々が多くいるのも事実である。中国、日本、韓国、北朝鮮は、おそらくこの点では大同小異である。

彼は、たくましく生活を愛する人々と同時に、私たち(彼ら)が重圧に耐えきれずに、自殺を選択するのを目撃する。彼の作品群では、頻繁に狂気と脆弱性を表現しようとする試みが見られるが、社会問題としてではなく、現実味のある事実として次のことを確信しているからだろう。
 狂気・脆弱性は、ただあらゆる人生において真実なのである。
個人的な強度に関わる欠陥とは違うものであると。
自殺の多くはうつ病を原因とするものが多いが、実際、うつ病は社会的な構造病であり、病理的な疾患ではないとも言われている。
しかし、彼が芸術家として注視する狂気・脆弱性は、実はこのような社会構造的災害とも言える社会現象の範疇をはるかに超えたところにある。
 災害は深刻でもあり、一般的でもある。ある側面から見れば1000キロの重さが一本の髪の毛を今にもちぎろうするほど重い「できごと」であるが、別の次元で捉えれば特別な意味など持たない、羽のように軽い「できごと」に過ぎない、という側面もあるからである。


異種間変換・変身
彼の軽やかで速い筆使いは、絵の隅々に溢れている。絵の中では、半人半獣や昆虫が「何か」を受け止めている姿がよく描かれる。その「何か」を受け止める中で、人の形はしばしば崩れ落ち、鳥の羽や植物の茎に変化したり、あるいは画面を構成する単なるブラシストロークに変わったりする。
人間、動物、昆虫、植物が互いに溶け込み生成変化する現象を目が追いかけるうちに、一つの花から植物の茎を、茎から人間の身体や昆虫の羽を見出す、という継続的で散発的な視覚体験を生み出す。
また、人の顔や身体を透過して植物や他の身体部位が見えることもある。この多層的なイメージは色や筆触によって、重なり合うお互いの姿を明らかにするーーあるいは、覆い隠すーーという相反した痕跡を見せる。
この構造によってはっきりとした像を結ぶことの単純な快楽を掴もうとしては逃れ、私たちは断続的に変化する複数のーーあるいはー匹の野獣を絵の中で探索することになる。

イタロ・カルヴィーノの『イタリア民話集』にこんな話があると言う。若い男性の召使いが公主を救うために動物たちから助けを借りるが、動物たちは彼に自分の身体の一部を与えて、召使いは蟻、ライオン、あるいは鷲へと、つぎつぎと変身していく。このシーンでの野獣と人体の不思議な結合・変身の過程で想像されるイメージは、金海生の思想を探索するのに重要なイメージであるように思える。
このような複数の生物の融合的なモチーフは東アジア、モンゴル、中東の古代絵画でもよく見られる他、精神病患者の認知の混乱や夢の中、または仏教の一部の観点にも見られるものである。
このような身体観は、単に作家の視覚的なスタイルと言うに留まらず、さまざまな文化圏で見出されてきたものにも共通しているのである。


野獣-痕跡
展覧会の主題である「野獣-痕跡」は、このような異なる種間の相互変換を反映しているように思う。
私たちはこの展覧会で、人間の視点から、私たちがかつて野獣であり、現在も野獣であるという事実をたどることになる。私たち自身を、連続的で多層的に絶えず変化し生成するものとして、他のものとの関係の中に身を置くことを想像してみることもできる。

これはひとつの探求過程である。
この過程を目撃することで、私たちは狩人の鋭敏さ、森の中で野獣の足跡を探すような感覚をおぼえるのではないだろうか。


略歴

・教育

2020年 

武蔵野美術大学 造形学部油絵学科油絵専攻卒業

・グループ展

2015年 『一面』,美成アートスペース,深セン,中国

2016年 『顕像その一金海生 余昊展』,サバキスペース ,広州,中国

2017年 『有用無用』,Boxes art speace at OCT habor,深圳,中国

2019年 『夜明けの家 木曾Paintings Vol.3』,滞在制作展示,木曾,長野県

2019年 『星座と出会い系、或いは絵画とグループ展について』,パープルームギャラリー,相模原市,神奈川県

2020年 『Modle Room』,武蔵野美術大学 Fal,武藏野美術大学,小平市,東京都

2021年 『你は何しに여기へ?』,Taku Sometani Gallery ,日本橋,東京都

2022年 『Ampersand-旧図像世の挽歌』東京画廊BTAP,北京,中国

・個展

2022年 『水源』,A&Tギャラリー,仙台,宮城県,日本

・その他

2018年 『荒漠計画』レジデンス活動,滞在制作,鄭州,中国

2016年 サバキスペース,レジデンス活動滞在制作,広州,中国

2019年 深センアートフェア

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