− 画家になりたいと思ったのは?
小学生の時。絵を描くのはずっと好きだったけど、作家になりたいとか絵に関する何かになりたいと思ったのは小学生の時。
でも仕事って色々あるわけじゃないですか、絵に関する仕事って。その中でアーティストって思ったのは中学校の時。美術部で初めて油絵を描いて、美術館行ったりしてるうちにアーティストになりたい!って。
顧問をしてた先生が「美大だったら藝大が1番だよ」って。…すごい反対されましたね。
− 誰に?
母親に。翻訳家なんですけど、だからこそというか、同じような自由業になって欲しくなかったんだと思う。
母は薬剤師とか資格がある職業に就いて欲しかったみたいで。食いはぐれないというか、手に職があるような職業。
…小学生の時とか夢ってコロコロ変わると思うんですけど。ケーキ屋がいいとかお花屋さんがいいとか。そういうのって「ああ、そうなんだね」って受け流せばいいじゃないですか。でも私の母は小学2年生に対して「絶対ダメ」って。
− ずっと。
ずーっと。
ケーキ屋とかは流されたのに絵はダメ、とにかくダメ。その時から今まで、20年くらい反対されてるかな。
− 本気なのを嗅ぎ取っていた。
多分そうなんだと思う。幼稚園の頃からずっと絵は好きだったから。絵に対する思い入れを感じ取ってたんだと思う。
習い事も続かないのに、絵は習ってなくても続いていた。クラスメートみんなの自由帳持ち帰って描いて、次の日に返したり。毎日描いてた。そういうのも見てるから、尚更だったのかもしれません。
− 絵を見始めたのはいつから?
中学生の時に美術部に入ってから。
愛知県出身なんですけど、愛知県は意外と美術館はあるから、定
期的に見に行ってました。テスト終わりとか。
− 漫画を読んだりはしなかった?
小学校の時はリボンとか、少女漫画読んでました。
あとポケモン。昔はゲーム好きだったんですよ。『どうぶつの森』とか『カービー』かな。8時間くらいやってました。普通の小学生。
− だけど漫画家でもゲーム制作でもなく、画家になりたいと思った。
一枚の絵が好きだったから。
一枚で完成してて、無駄がなく存在してる感じがすごく好きだった。今もドニとか、デュマス、ペイトン、ドイグに村瀬恭子とか、本当に好き。絵画の強さも美しさも、全部が好き。
− でも反対されていた。その間もずっと気持ちは途切れず?
そうですね。結局、絵が描きたくて高校も辞めた。
本当は美術科の高校に行きたかったんですけど、もちろん猛反対されて。結局当時は地元の有名な進学校に行ってて。それはなんでかっていうと、母から交換条件としてその高校へ合格したら美術予備校行ってもいいって言われて、諦めてその高校へ進学した。
でも到底絵なんて描けない。進学校なので0時限目から7限目まで授業があって。家帰ったら家庭教師が待ってた。勉強は予習しないとついていけない、土日は外に出れないくらい宿題も出される。美術予備校なんて絶対無理だし、そもそも絵すら描けない。
− ストレスが溜まる。
溜まるし、モチベーションが保たない。そもそも美術予備校のために通ってただけで、勉強したいわけじゃない。だから成績も下がるし、なんで私ここにいるんだろうって。
結局二回不登校になった。2回目の時に「辞めよう」と思って。大検取れば高校に行く必要もない。「ここにあと1年半いて何になるんだ」って。
2ヶ月くらい母と大喧嘩した。それで辞めて、それで大倹もとってちゃんと美術予備校も通い始めた。
援助とかなくて。バイト三昧。
家も出ちゃって、おばあちゃん家で寝起きしてた。でも、何より絵を描けるのがよかった。息ができた感じがした。
− それで晴れて藝大に入って。
いや、一回ムサビに入りました。とりあえず、東京に逃げたかった。
ムサビに通いながら1年生の時に内緒で藝大受けたんです。どうしても藝大に行きたかったんですよね。
だってただ絵が描きたいわけじゃなくて作家になりたかったから。それって全然違うことだと思うんですよね。だからもっと厳しい環境に行きたかった。
学生って意外と絵描かない人多い。ゲームしておしゃべりして、友達と遊んでってしてる人とか意外とたくさんいる。ショックだった。私それすごい嫌で。もっとこう、美術について語るのかと思ってた。
大学に入る前ってみんな何かしら期待してると思うんですよ。
「何とかなる」って。「美大入ればなんとなく作家になれる」ってぼんやり思ってる。でも全然、一ミリも、絶対にそんなことない。
− 入学してみて痛感した。
そう、本当に。「あ、そういうわけじゃないんだ」って。作家になるまでのルートが分からなすぎて絶望した。
先生に聞いても教えてくれない、先輩を見ててもよくわからない。最初の一歩もわからない、暗闇のように思ってました。
− やましたさんの場合はどうしましたか。
藝大の同期が学部の時に有名になってて。その子からアーティスト活動を勉強しました。
− モデルケースとして。
動きを見て学んでました。「ああ、こうするのか、こういうのが大事なのか」って。同期だったことにすごく感謝してる。
その頃の私は作品も全然出来上がってなかったし、あっち行ったりこっち行ったり、迷走していた時期で。自分の作品を試行錯誤して「これがやましたあつこの良さかな」って見えてきた段階で色々と動き始めた。
− 少し作品について因数分解すると、やましたさんはご自身の空想を描かれてて、それをドローイング的な筆法で表現している。コンセプトと手法はどっちが先だったんですか。
方法的なところかな。1年生の頃にドローイングの授業があって、「千枚ドローイング」って言うんですけど。千本ノックみたいにひたすら描く。
最初はドローイングの良さが分からなくて。ドローイングの授業って「目瞑ってもいいから描け、何も考えずに描け」みたいな感じで始まるんですけど、良さが分からないから全く理解できなかった。
先生が褒めるやつもただの落書きみたいな感じで。しゃしゃしゃっと描いたような。「え、これでいいの」みたいな。
同級生と一緒に困惑してました。
− それが千本ノックを通して変わっていった?
ひたすら描き続けてたら、段々とわかってきました。力まないで描くこと。柔らかい線だったり。手を動かすこと。何も考えずにただ描くという行為について。ドローイングの良さが体感できた。そこから硬さみたいなものが絵から消えていった。けっこう大きい体験でした。
− そこから空想の方に入っていくと。それまでは何を描いていたんですか。
今と全然違いますよ。真逆というか、完全にウケ狙い。「こんな絵を描いたらいいんじゃないか」っていう絵ばかり描いてた。賞とりたいとか、先生に褒められたいとか、そういう仕様もないことばっかり考えてた。
− 実際の反響は?
全然ダメ。邪念が透けて見えてたんだと思う。当たり前ですよね。絵より自分のことを考えてたんだから。
− そこで空想、妄想の世界が出てくる。経緯を聞いていいですか?
一番大きいのは「好きなものを描こう」とシフトしたこと。完全に振り切ったんですよ、自分の世界に。
春休みの課題もない時期、描きたいものってなんだろうと思ってて。でも考えてみるとなかった。予備校時代から受験のため、課題のため、コンペに出すためって、それはずっと何かのためにネタを用意していたけど、実際に私が描きたいものではなかった。そのことに対してたぶん目を背けていて、でも春休みで時間もあって、向き合ってみたら私には何もないなって。
なーんにもないなぁ!って開き直ってみると案外クリアになって、「いろんなことを抜きにして自分は何が描きたいんだ?何が 1番自分に近いんだろう?」って自問したら、小学校の時に考えてた妄想だった。
でも悩みましたよ。自己満というか100%趣味の世界じゃないですか。でも「いいか!」って。
− 取っ払った、色々と。
だって別に評価もされてない、誰が見るわけじゃないんだから描けばいいって。「誰にも見せないんだから描け!描いてみるんだ!」って。
それまでと全然逆です。180度違う。それまでは評価ばっかり気にしてたけど、誰からの評価も気にしないで好きなものを描く。でも考えてみたらそういう絵って小学生以来のことなのかもしれない。
最初は家でこっそり描き始めたんです。絵画として成立しないと勝手に思ってたけど、そんなことなくて。解放されたというか、色んなものから。何より楽しくて、いいかもしれないと思った。
− 自分の作品が見つかった感覚。
そうそう。
− 躊躇いはありませんでしたか? 美術のコンテキストやトレンドから離れたことをすることに。
あったけど、でも結局楽しいっていう気持ちが勝っちゃった。絵が描くのが好きっていうのを思い出せた。だから私はこれでいいし、というか、これもアリなんだっていうのを見せていけたらいいんじゃないか?って思えた。
エモい絵ってあんまり表には出てこないけど、多いと思うんです。こういうドローイングっぽく自分の好きなものを描いている人たちって。私がアーティスト活動を頑張って、うまくいけば、そういう絵がたくさん出てくるきっかけになるかもしれない。
− 歴史の流れから作品をプレゼンする人もいるし、むしろそれがメインとすらされていると思うんですけど、そういう文脈的な説明についてはどう思いますか?
いずれは必要になると思う。
上にあがっていく段階のいずれかのタイミングでは突き当たる壁。でも美術史の必要性は、現時点の自分の居場所を考えた時にはまだかなと思う。必要なのは分かるんですけど、絵に説明を求めることは作家のすることではないと思うんです。だって美術館に行って絵よりもキャプション眺めてる時間が長いなんておかしくない?って思う。
− 目で完結していたい?
していたい。
− 描きたい絵と描くべき絵は違うと思う?
違うと思うけど、私は描きたいものを描きたい。
描くことに関しては我が儘だと思うので、嫌だと思ったら描かないと思います。
− そこがやましたさんの希有なところと言ったら嫌に聞こえるかもしれませんけど、でもやましたさんは「描きたいもの描く」で評価を得た。
だから、私はそれができるんだって言いたい。
みんな壁にぶち当たるけど、でもそれは作品がダメなわけじゃないと思う。自分の発言力とかプロモーションの仕方の問題で、今はSNSだってあるしコンペもたくさんある。作品を伝え方で変わる所もあると思っていて。
描きたいものを捨てて作り込む人はたくさんいる。でもそれ「自分で納得できている?」って思う。
自分が好きなものを忘れてる人ってけっこういるんじゃないかなって。でも好きなこと描いてる人って声が小さいし、絵で生きていこうってほど強くない人たちもいる。作品は素敵なのに途中で諦めてしまう人もいる。
今のアートの流れとか、今の若手の人たちを見てると、私みたいな作品はまだ扱いづらいと思う。コンセプトよりエモーショナル。主流じゃない、というか。私も以前はよく言われて。でもギャラリーにも入れた。作品も人に届けられてる。だからというか、そういう人たちにとって例になりたいとは思う。「やましたあつこ」っていう前例をつくって、そういう人たちが1人でも増えたらいいなって思うんです。
− そしたら大きくなりたい?
なりたい。というか、成る。成って見せたい、でかい作家に。色
んな作家の人が出てくるきっかけになりたい。
− やましたさんが自分の作品をあくまでも絵画として見せている点がすごく気になっているんですが、例えば下地を厚く塗ってフィジカルな性格を強調しているところとか。
最近ですね、ものとしての側面が気になり始めたのって。近頃研究していて。絵画って平面ではあるけれど、でも「薄い物質」でもある。
− イラストレーションと違う点ですね。
そう、絵画であることの理由。ペラペラの紙に描くのとは違うし、もっとどっしりさせたかった。私の絵って重いんですよ。10 号とかになるとすごい重たい。
最近になって地塗りも絵の一部になるって可能性を感じ始めて研究してますね。もともとキャンバスからつくるタイプ。市販のキャンバスが苦手なんです。地の色がけっこう強くて描いている時にすごく気になる。だから自分で木枠も木を削ってつくるし、布も貼るし、顔料混ぜて地塗りもする。実はそっちの時間の方が圧倒的に長いんです、描いてる時間より。
− 顔料とか木枠とか、マテリアルも絵画を構成する一部。
最近はそう捉えてます。だからもともとやっていた作業を掘り下げて作品の強度を上げられないかなと思っていて。
あと手作りの感じがすごく好きなんです。
− 手の痕跡を残したい?
そうですね。描き手の存在があることは絵画の要素だと思う。身体的というか画家としての私自身も作品に捧げたい感じ。作品をもっと強くするために。
− 支持体を模索したことは?
ありますよ。今の作品になる前とか。カーテンに描いたりとか。
− マテリアルに対する考え方が変わるとして、でも一貫しているのは妄想を根っこにしているところですよね。「話が変わる」と言ってましたけど、それは物語が進むということ?
そうですね。話が進展していく。
− 世界の中にやましたさんはいる?
いるけど、でも登場人物ではない。空気みたいな感じ。
− 三人称視点。
そう、そういう感じ。
− 切り取られる物語の瞬間に共通点は?
感情かな。幸福とかそういうシンプルなやつではなくて、楽しいけど寂しい、好きだけど幸せじゃない、みたいな。
二つの感情が入り混じってる瞬間が好きです。
− 世界はいくつかあるんですか? それとも一つ?
いくつかある。大きく分けて3つくらい。他もぼんやりあるけど途中というか、まだ世界にはなってない。それぞれ登場人物の数とかが違ってて、今描いてるのはその一つ。一番描きたかった世界。他はもっと複雑なんですよ。だからまだ絵にできない。
− その世界には時間軸があるんですか? 未来とか過去とか。
全部あります。
− 描くのは?
全部。
− 現在進行形に近いんですか?リアルタイムで進んでいく世界?
そう、そんな感じに近い。
− 少し話が整理すると、描かれている物語はやましたさんの空想で、それはやましたさんの経験や感情をベースにしている。例えば2020年と19年では作品の基調となる色もモチーフも違いますけど、それは実際のやましたさんの見聞きしたものが変わったから。やましたさんが生きている限り、実生活で得たものが空想に還元されて作品は変化するし、だからこそ常に進んでいて、もう前には戻れない。
描けと言われたら描ける。描いたことがあるから技術的にはできる。でも自分の中で描き切ったと思ってるし、もう自分の中では次の絵がある。
昔は作風が変わらないのかなって不安があったけど、今はその逆になってる。
− 変わることが不安?
不安というか、怖い。本当にコロコロ変わるから。周りが作品を見て「ああ、なるほど」って理解している時に自分の中ではもう終わってて、次にいく。
− 孤立していくかもしれない。
そう、それが不安。
…ドイグ見ました?
− 近代美術館の。
彼ってかなり変わるじゃないですか。私はあの第一室のやつが好きなんですけど…。
− 90年代後半くらいの作品ですね。
そこが彼のピークだと思ってて。それから後の方は落ちているように見える。それが自分もあるんじゃないかって。それが怖い。
− ピークの時点も通り過ぎて行ってしまうことが怖い?
そう、でも留められない。止まらないんです。
だから、もし私にとって最も評価されるところに到達しても、私はきっと変わると思う。落ちていく方であったとしても変わってしまう。
− やましたさんの世界が順行しているから。
そう。
− 変わってしまうメカニズムは?
ネガティブな言い方になるけど、嫌気が差してくる、というか。その状況はもう描き尽くされるし、描くための手順がもう見えてしまっている。
− 謎に包まれていることが大事?
ゴールが見えると退屈になる。自分の性格的に。
− そしたら、やましたさんの物語にとって、やましたさんはページをめくる人でもあるわけですね。
そうですね。
− それでも、そうやって作品と自分が強く結びついてることに躊躇はない?
ないですね。今はもうない。
− インプットに対する焦りは?
今はないかな
− 私小説のそれに近いと思いますけど、太宰治のように自殺を考えたことは?
それもない。死にたいと思うことはあるけど、それは言語化できないどうしようもないネガティブな気持ちを指してるのであって、死にたいと思ったことは一度もない。
− 幸福と成功、どちらを求めるタイプですか?
成功。
− 幸福は?
幸福は気づいたら諦めていた、というか置いてきぼり。成功したら幸せだと思っていたけれど、違う種類のものなんだろうなって。ギャラリー所属したり作品が売れたり、そういうことはすごく嬉しいし燃える。でもそれと幸福はまた別だなぁって。
− その考え方は小さい頃から? つまり、置いてけぼりにされている感覚というのは。
どうだろう。でも現実に満足してなかったからこそ空想が生まれたんだろうとは思う。
小学校の頃いじめられて、病気になったんです。丸々5年治らなくて、病気の事でまたいじめられて。絵のおかげで学校での自分の居場所はあったけど家にいることが多かった。
漫画読んだり映画みたりゲームしたり、学校には行ってたけど引きこもっている状況が続いて。
− それで空想が始まった。
最初は現実逃避みたいなところから始まってる。空想の世界での私は無敵で、守られていて、楽しかった。小学校の私には十分時間があって、そこから話を作る習慣ができたんだと思う。
− 現実は否定する方ですか?
現実に対して? なんだろう、否定はしないけど現実って邪魔が多いじゃないですか。邪魔のない幸せはない。
人間関係も世間のことも、人の目とか、あとお金も邪魔だと思う。全部大切だけど、全部邪魔。だから空想している。空想にはそういうのが無いから。
でも、私が空想を現実の世界で描いてたとしても、作品は作品だから。
見る人には自分で決めて欲しい、と思う。有名だからいい、無名だから悪いとかじゃなくて、自分がいいと思うからいいんだってなってほしい。
さっきの話に戻りますけど、本当にいろんな人が出てきてほしいし、いろんな見方をしてほしい。
− やましたさんの作品もそうですが、根本的に「好き」が通底してますよね。
幼少期とかプリミティブな絵を描く動機って絶対「好き」からだから。それでも良いんだって。周りがとやかく言ってもそれで良いって思わせたいです。
− 肯定。
そうですね、肯定。
私が続けていって、もし有名になって、それで肯定されるものが増えれば良いと思う。これでも良いんだって。