2000年大阪生まれ。2020年現在、東京芸術大学美術学部絵画科油画専攻在籍中。
日々や記憶、体験などの様々な場面を独自に成形した支持体などを使い制作を行なっている。
・アーティストステートメント
自分にとって、絵を描いたりなどの制作とは連続する日常の中で日々という差異を汲み取り差別化し、それぞれを独立させる営みであり、またその連続の連なった制作という行為達自体もフラットな日常に対して個々の日々達を出現させる為の手段である。今、生きている社会というものは常に全体が記号化され、フラットに馴らされている。その中で自分という存在自体も暴力的に分類され更に記号化を施され、馴らされる。そういた個が無視され集団の物として社会の中に取り込まれる状態の中で、自分は記号の一部では無く、個として発話し思考したいし、フラットな日常ではなく、個人として個々の日々を風景として扱いたい。そのために絵具を触り、布を独自に成形し、支持体を作り絵を描いているのだと思う。単純に描きやすい為の場所を作り絵を描くという行為が、いつしか自分という個の輪郭を型取り、視座を表す為の術になっていた。
今回の展示タイトルである『〻〻〻〻』は日本語の中における特殊記号と言われる分類のもので、『〻』は重ね字や踊り字など様々な呼び名があるが、あくまでこの呼び名は特殊記号の総称であり、漢字と併用して使うので、この記号達自体に固有の音や意味は無い。今回、展示タイトルを考えるにあたって文章や文字を組み合わせたり引用したり羅列したりなどして、様々な成形をしていった。その時に『〻』を見つけ、『〻』を単純に並べてみると、何故か単なる記号達が独立した一つの形に見え、目の前に現前してきた。記号である筈の物が何かの纏まりを持った一つの形に見えた。文字が文章になり風景として伝わるかの様に、本来は音も意味も持たない記号達が輪郭を持った生きた何かに見えてきた。自分達が勝手に記号と呼んでいる均一でなだらかな物達が性格を現し、風景を織り成し始めた。
今現在の世の中は、社会の中における記号化の暴力から脱し、自分という個を握り締め実感し、歩き出す人々が増えたと思う。だが、まだ世の中は身勝手な分類に満ち溢れ、個は物と化し、それを飲み込む社会も当然の様に存在し、以前よりその傾向もまた強まっていってるとも思うわけである。人間という形を超えたミクロな単位での暴力的な記号化が横行している社会の中で、呼び名も無い、何物でも無い記号ではなく、記号を越えた輪郭を持つ独立した個として生き物として世界や風景を見て理解したい。だから思考し、制作し、喋り、営みを送るのだ。〻〻〻〻
2020年 AHMED MANNAN
主なグループ展
2020
We (You) are Beautiful!(新大久保UGO)
2019
東京インディペンデント(東京芸術大学陳列館)
浮遊する変体 vol.2 coexitence (KAGANHOTEL 工事現場地下)
Exhibition & Pop Up Store 『0.5』(R for D)
主な個展
2020
〻〻〻〻(TAKU SOMETANI GALLERY)
2019
え、絵、え うちへでて/そとにおく(COUR_DES_CIEL、ギャラリー恵風)
アーティストウェブサイト https://www.instagram.com/ahmedffyhvhi_ygvv/